めぐろうらいふ大爆発

欲求不満おばさんの個性を爆発させるためだけのブログ

中学生刺殺事件について。加害者は”場を濁す異端者”だったのかもしれない

おはようございます。

今週こんな悲しいニュースがありました。

中学生の男の子が同級生を刺殺した事件。

 

news.yahoo.co.jp

 

朝の8時からのニュース、めざまし8でこの事件について触れていて、子供同士のライングループについて子供達にインタビューするコーナーがありました。

楽しくやりとりする中で、場を濁す人がいると口論になってしまったり、解散したり、ブロックしたりすることがあると。

もしもこの加害者の少年が”場を濁す”タイプのために干されていじめられたと感じたのなら・・・

このニュースを見て私はこの加害者側の子供と自分が同じタイプなのではないかと思いました。私は刺殺したことないけども。

 

めざまし8の特集ではこの事件について子供達のネットワークの出来事のように伝えられていましたが、大人の社会でも全く同じことがあると感じます。年齢は関係ありません。

ライングループはチャットという特性ゆえか、日常会話と同じ非言語的コミュニケーションを暗黙のうちにお互いに求めています。

色々あるでしょうが私の印象的なものは日本人特有の「空気を読む」というものです。

集団で会話している時に、関係ないことを言ったり、持論を展開したり、反論したりすると、インタビューの子供が言っていた”場を濁す”行為となり、つまり空気が読めない人とされてしまいます。

日本のコミュニケーションでは、そういう人はダメのレッテルが貼られます。

程度にもよるでしょうが、その判定はかなり厳しいものでしょう。

 

「関係ないことを言う」ことは成長の過程で改善されていき、議論の中では同じテーマで話し合うことが大抵の人にはできるようになっていくものです。

しかし正当であるはずの「持論を展開する」「反論する」は少しでもあろうことなら大人の中でも喧嘩になることが多いです。

もちろん言い方はあるでしょう。しかしその「言い方」に求められるものが多すぎて、自分の意見に辿り着くまでに大変な労力が必要になります。

 

どうでもいいような、あるいは期間の短い人間関係であれば、反論すること自体を諦めた方が労力が少なくすみます。

人間は、話し合い、解決することが苦手なのです。

最近これに類似した現象が環境についての国際会議で見られました。インドなど一部の国が二酸化炭素の排出制限について困難であると反論しました。そのため決定的な方針は決まらず、ほぼ現状維持のような形で終わり、議長が謝罪するという異例の事態になりました。

このようなことは人間の生きる全ての場所で日常的に起きています。そして誰も、それを解決できない。なぜならぶつかる意見の折り合いをつけるということは人間にとって最も難しいことだからです。

 

話を戻しましょう。

 

子供のライングループで起きた”何か”のために、殺人が起きました。

これは全くもって私の想像でしかありませんが、彼は脱論、あるいは持論か反論を言ってしまったのではないでしょうか。そして暗黙のうちに、”場を濁す異端者”のレッテルを貼られ、それに傷ついたのではないでしょうか。

私は彼を弁護するつもりは全くありません。子供であろうが何であろうが、身分に関係なく殺人はいけないことです。彼はそれができてしまう行動力があった。非常に残念です。

”場を濁す異端者”は集団において孤独に陥ります。多様性のある一部の会社であれば、そういう意見もあるだろう、そういうことを言う人もいるだろう、と受け入れられますが、日本にそのような場は極めて少ない。ましてや学校のいちクラスという極めて閉鎖的な社会では、違う意見の存在自体、受け入れられることが困難でしょう。

 

加害者の少年が仮に殺人に及ばなかったとしても、そのような特性をもつ彼はその後も同じような孤独の危機に陥ったはずです。

この事件を「子供同士の社会で起きたこと」と片付けるには、あまりにものを考えなさすぎだと私は思います。

加害者の受けた痛みを想像し、あの子が子供だったからで済まさず、社会のありようを考えることが必要だと思います。

このニュースから学ぶべきものは、もっと大きな範囲であるはずです。